表紙  前文  程順則  程摶萬  蔡温  蔡鐸  曽益  周新命  蔡文溥  蔡肇功



蔡温(さいおん):具志頭親方文若(ぐしちゃんうぇえかたぶんじゃく)

 

 恩納嶽

一片高峰尽是松

吾将此地訪仙蹤

雲深祇怕迷前路

却使院郎笑蔡邕

 

 恩納岳(おんなだけ)

一片(そびえ)る高い峰は尽(すべ)てが是(こ)れだけの松である

吾(わたし)は将(おも)う此の地に仙(せんにん)の蹤(あと)を訪ねようと

雲は深く祇(た)だ前の路(みち)に迷うことを怕(おそ)れる

却(かえ)って院郎(わたし)を使って蔡邕(せんにん)を笑わせることになるのでは

 

 泛許田湖

清湖十里抱村流

此日偸閑独泛舟

楓樹初飛堤上葉

釣竿殊狎水中鴎

天涯風静霞光落

紅面峰高月影浮

纔是滄浪漁父興

敢云我続范蠡遊

 

 許田湖(きょだこ)[※湖辺底]に泛(うか)べる

清い湖は十里もの村の流れを抱(いだ)く

此の日閑(ひま)を偸(ぬす)んで独り舟を泛(うか)べる

楓(かえで)の樹(き)は初めて堤の上に葉を飛ばし

釣り竿は殊(とく)に水の中の鴎(かもめ)に狎(な)れる

天(そら)の涯(はて)まで風は静かで霞(かすみ)の光は落ちて

面(おも)を紅(あか)くして峰は高く月の影が浮かぶ

纔(わず)かであるが是(こ)れは滄浪(そうろう)の漁父(ぎょほ)の興(おもむき)

敢えて云う我(わたし)も范蠡(はんれい)の遊びに続こうと

 

 我部塩居

草屋軽烟冲碧空

隔峰相望白雲同

応知煮海成塩味

只在乾坤造化工

 

 我部(がぶ)の塩居(えんでん)

草の屋から軽い烟(けむり)が碧(みどり)の空に冲(のぼ)る

峰を隔てて相(たが)いに望めば白い雲と同じ

応(まさ)に知る海を煮て塩味と成すのは

只(た)だ乾(てん)と坤(ち)を造(つく)り化(か)える工(いとなみ)で在ると

 

 勘手納暁発

桂帆此地離

烟水暁天馳

興深回首望

江山尽是詩

 

 勘手納(かんてな)を暁(あかつき)に発(た)つ

桂(かつら)の帆が此の地を離れる

烟(もや)の水(うみ)と暁(あかつき)の天(そら)を馳(は)しる

興が深まり首を回して望むと

江(かわ)と山と尽(すべ)てが是(こ)れ詩である

 

 宇慶田津

不信人間生此泉

今朝我誠泛軽船

果然湧出甘如醴

疑是江中別有天

 

 宇慶田(うけだ)の津(みなと)

信じられない人(ひと)の間(よ)に此の泉が生まれると

今朝(けさ)我(わたし)は誠(こ)こに軽い船を泛(う)かべる

果然(やっぱり)湧き出ている醴(さけ)の如(よう)に甘く

是(こ)のように疑いたい江(かわ)の中に別に天が有ると

 

 大栄河感志

独立栄河古渡頭

秋楓晩色映波流

請看逝者皆如是

日夜寒声不暫留

 

 大栄河(おおいがわ)で感ずることを志(のぞ)む

独り立つ栄河(おおいがわ)の古い渡しの頭(ほとり)

秋の楓(かえで)と晩(ゆうひ)の色が波の流れに映る

看ることを請(ねが)う「逝(ゆ)く者は皆是(か)く如(ごと)きか」と

日(ひる)も夜(よる)も寒(さび)しい声(おと)が暫(しばら)くも留まらない

 

 試親川泉煮茶

親川旧是湧甘泉

清味試開陸羽筵

七碗頻傾香不散

風生両腋趣如仙

 

 試(ため)しに親川(おやかわ)の泉で茶を煮る

親川(おやかわ)は旧(むかし)から是(こ)こに甘い泉が湧く

清い味であり試(ため)しに開く陸羽(おちゃ)の筵(むしろ)

七椀(なんど)も頻(しき)りに傾(のん)でも香りが散(き)えない

風が両腋(りょうわき)に生まれ趣(おもむき)は仙(せんにん)の如(よう)だ

 

 戯馬台即興

戯馬台前会万人

西風吹起馬蹄塵

群英従此決勝負

恍似楚王破大秦

 

 戯馬台(けいばじょう)[競馬場]での即興のうた

戯馬台(けいばじょう)の前で万(たくさん)の人に会う

西の風が吹き起こり馬の蹄(ひづめ)が塵(ほこり)をおこす

群れのような英(ゆうしゃ)が此(こ)こ従(か)ら勝負を決する

恍(うっと)りとして似る楚王(ソオウ)が大秦(タイシン)を破ったのに

 

 勝宇嶽

雲峰挿漢勢崢エ

児女猶伝勝宇名

幽境殊多麋鹿走

層巒更観鳳凰翔

老松不改三春色

深壑常聞万歳声

応識当今明主世

五風十雨海天晴

 

 勝宇岳

雲のかかる峰は漢(あまのがわ)を挿(さ)して勢いよく崢エ(そび)える

児女(こども)でも猶(なお)云(い)う勝宇(かつう)の名

幽(おくふか)い境(ところ)は殊(こと)に多く麋(のろ)と鹿(しか)が走る

層(いくえ)にも巒(つら)なり更に鳳凰(ほうおう)が翔ぶのが観(み)える

老いた松は三(さん)かげつの春にも色を改めない

深い壑(たに)に常に聞く万歳(ちょうじゅ)の声を

応(まさ)に当今(いま)識る明(かしこ)い主(おう)の世であると

五つの風も十の雨も海も天(そら)も清(うつく)しい

 

 澹園即興

家在赤平松嶺麓

纔過松嶺即園林

門依緑竹堂依水

径結青苔樹結蔭

向戸庭花交尽美

綾枝山鳥各成吟

幽楼無事惟如此

更難誰人謝古今

 

 澹園(たんえん)にての即興  (※澹園は家宅の名)

家は在る赤平(あかひら)の松の嶺の麓(ふもと)に

纔(わずか)に松の嶺を過ぎれば即(たちま)ち園と林

門は緑の竹に依(よ)りそい堂は水に依(よ)りそう

径(こみち)には青い苔(こけ)が結び樹は蔭(かげ)を結ぶ

戸や庭に向かえば花は交じって美を尽(つく)す

綾のある枝に山鳥は各(それぞれ)吟(うた)を成す

更に難しいことは誰人(だれ)が古(むかし)と今(いま)に謝(むく)えるのか

 

 問津

天涯馬上人

相見即傷神

橋野頻穿雨

江村偏問津

離家同作客

回首共思親

握手談心事

笑吾馳世塵

 

 津(みなと)を問う

天(そら)の涯(はて)まで馬上の人

相(たが)いに見(あ)うと即(たちま)ち神(こころ)が傷む

橋にも野にも頻(しき)りに雨が穿(ふ)る

江(かわ)の村で偏(ひたす)ら津(みなと)を問(と)う

家を離れて同じように客と作(な)り

首(あたま)を回(めぐら)して共に親しいひとを思う

手を握って心の事(うち)を談(はな)し

私を笑う世の塵のなかを馳(は)しることを